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僕の25年と言う短い期間で得た考え、失敗がお役に立てれば幸いです。

受験のための筆記試験よりも音楽、図工、体育を頑張った方がいい理由 僕の経験談を添えて

 みなさん、勉強していますか?(今回も振りがかなり雑)

 最近は、生涯学習が唱えられ学校を卒業しても自分のキャリアを広げたり、なりたい自分を実現するために勉強する人が増えてきています。

 ある人は「日々勉強!日々努力!」と唱えています。大企業はいれば一生安泰という時代が羨ましいですね。

 そんな訳で特段何の能力も身につけないまま、社会に放り出された僕はこのように一縷の希望を見ながらこうして勉強して記事を書いている次第でございます。

 

 さて、今回なのですが私が親に言われるがまま勉強をしてきて誰でも入れる大学に入り、早期退職して気づいたことが一つあります。

「あれ?筆記科目ってできても社会ではクソの役にも立たなくね?ていうか、コスパ悪くない?」

 何でそう思ったのかは以下の通りです。

 

1 現実の問題解決において事前に覚えた知識で、確かに存在する正解を掘り当てるということはほとんど存在しないから

 これは完全に盲点。何も考えず生きてきてしまった自分が恥ずかしい( ͡° ͜ʖ ͡°)

冷静に考えればそうなのですが、社会で起きる問題というのは極端な話、一分一秒ケースバイケースで何が正しいのかなんて変わってしまいます。

それに加えて確かな正解も存在しないだけでなく、完璧な仕上がりを求められたら、6割形になっていればいいなど、正解のボーダーラインも相手によって変わってくるのです。

 そうした様々な要素が絡み合う仕事の日常で起こりうるものを詰め込んだ知識だけで対処するのは大変厳しいものです。

 しかもテストで覚えなければならない知識というのは、エッセンスの部分では必要になってきますが、単語や知識を知っていたとしても結果にコミットはしないからです。

 

2 仮に勉強をメシのタネにしようと考えた時、競争相手の数と上位層がエゲツないから。

 確かに一般的なペーパーテスト学校の5教科7科目が得意は人もそのスキルを活かしてご飯を食べることは可能です。

 塾の講師なんていうのは典型的な例ですよね。しかし、これでご飯を食べて、いい

生活をするためにはかなりのハードルは高いです。

hukugyobaka.com

 この記事を見ていただくと分かるのですが、一般的に高学歴と言われる大学の最低ラインである偏差値60以上に食い込むのにも全受験生の上位10パーセントに入らなければなりません。しかし、ここに入れてもただの「勉強ができる人です。」誰もが教わりたいと思えるものすごく頭のいい人と考えられる偏差値70以上の大学に入って差別化しようものなら全受験生の2パーセントに入らなければなりません。

2パーセントですよ。この熾烈な競争はあなたにとってコストパフォーマンスはいいでしょうか?

旧帝大の崩壊―地元エリート国立大学の凋落と東大・京大の行方しかもこのような本も出てますし、本当にアキレス腱ブチ切れるくらい背伸びして、勉強してまで行く価値があるのでしょうか。元々、余裕で行ける人や、執念や信念のある人は別ですが。

 この2%に入らなければ高学歴という下駄を履いた状態で塾講師としていい生活を送るには厳しいのではないのでしょうか?勿論、入ってから教え方が上手かったり、キャラクターが受けるなどで巻き返しは図れますが。

 

3結局いい大学に入っても、給料が良い訳ではないから

 よく上の世代は、良い企業に入るためにもいい大学に行きなさいと言いますが、必ずしも偏差値の高い大学が良い待遇を受けられる要件とは言えないからです。

 しかも良い企業というものは非常に抽象的で人によって変わるからです。

 稼ぐことが至上主義の親なら、電通野村證券光通信に入れることは素晴らしいことです。しかし、地方公務員のような働き方をしたいと考えている子供にとってはまさしく地獄絵図に違いありません。電通鬼十則の記憶 ~電通事件の批判の中で~  

なんかは記憶に新しいですよね。これからの働き方について考えさせられます。

 結局、企業に入った上で何を求めるのかなんて、個人にしか分かりません。残念ながらみんなが、一つの何となく存在するであろう幸せを追う時代は終わってしまいました

ORZ

 しかも、大卒でも給料が20万円を切る企業なんてザラにあります。だから一層いい企業に入るため偏差値の高い大学に行けと言いますが、この就職活動という競争はコスパがいいのでしょうか?

 

 

じゃあ何で音楽、図工、体育なのか?

 それは、社会にまだまだニーズがあることと、成果物を形にして残すことができるからです。

 仮に、機械化が進んでも人の手が必要な部分はまだまだたくさんあります。その中でも肉体労働はまだまだなくなりません。体育が得意で体力に余裕があれば、建設業界や介護業界に最悪転がり込んでもリスクヘッジになります。

 また、音楽や図工は創作行為です。創作するということは必ず成果物がこの世に残ります。今はSNSで簡単に人と繋がれるだけでなく、技術の進歩で個人でプロの人しか作れなかったような作品を世に送り出すことができます。

 熱量にもよりますが、もしかしたらあなたの作り上げたものがこの世で一定のニーズを獲得することができるかもしれないのです。それは、自分の立場のために社内政治で有利に立ち回ろうとする行為よりもかなり生産性の高い行為です。

 勿論、社内で自分の信念を貫き会社を変えるためにそのようなことをしている人もいますが、特に何かに情熱がないのであれば何か作った方がいいと思います。

 

 

やはり物を作れる、表現できる人間は強い

 これは、僕が人生でものすごく痛感しました。就職活動においても理系は優遇されます。なぜあの人たちが優遇されているかというと、作業を繰り返すことで、一定の目に見える成果物を生み出すことができるからです。

 一方で文系が生み出すものは、解釈や概念など非常に抽象的なものであり、金が全て物をいう資本主義社会にはあまり役に立たないからです。上位の大学であれば、そのようなことはないと思うのですが、並の大学で学生をしている文系大学生の成果物というものは社会では1円にもならないものが大半です。

 僕は、親にひたすら勉強をしろと言われました。「音楽、図工なんてクソの役にも立たないと言われました。」正直、勉強ができないで絵が得意な人なんていうのはお先真っ暗なのかな?くらいには思っていました。しかしこの状態で放り出されて僕は気づきました。

「ああ、本当にお先が真っ暗なのは自分だった」と

何も生み出せず、ちょっと人よりペーパーテストができる人間など、社会では何もできない人と同じです。それであれば、高校時代それなりに勉強しながら社会に触れて会話スキルを磨いた方がまだいいです。

 だからこそ、僕みたいな人間に言いたい。

「何か作りましょう」

 僕は、何もありません。だから言葉で創作できるブログを始めてみました。

資本主義の本質を知ったので、投資を始め、節税を始めました。

 そしてティーンエイジャーの学生の皆さん、好きなものを磨いてください。それはいつか使える時がくるかもしれません。部屋はミニマリストにしても経験とスキル、そして思い出はゴミ屋敷が土下座するくらい溜め込んでください。それなりに勉強すればそれなりのところに行けますから。

 

締めの言葉がよく分からないのですが、何者にもなれない自分が何かになれるように応援と知識をいただければと思います。それではまた。