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自分の好きなことを書いていく、毒にも薬にもならないブログ

生き方も進路選択も同じだった話

 こんにちは、みんなは人生で生き方に迷っていたりしませんか?

 僕は絶賛人生迷走中です。もう何が正しい生き方なのか分からないし、夢もやりたいこともないんですよね。

 そんな僕でも、人生を大きく変えるきっかけになったのがこの会社でした。どこかの生命保険じゃないですけど、なんと人生は夢だらけなのだと気付かされました。

 僕もこの会社で夢を持つことができたので紹介していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘です!!

 

 いや、別にそんな胡散臭いマルチのディストリビューターになった訳でも、怪しい情報商材を購入してマインドセットをした訳ではありません。


 それは、生き方も進路と同じで「自分で選んでいくもの」ということです。こんな単純なことなのですが、僕は25年経ってようやく分かりました。そして人の人生へのアドバイスや生き方も所詮は参考例の一つなのです。


 若いうちは一般的に多くの人に人生のアドバイスをもらうことができたり、有益な情報をもらうことができます。

 しかし、それらを全て飲み込んで多くの人の言うことを聞いたら必ず矛盾が生じて頭がおかしくなります。

 そこで今回は僕の気づいた生き方の選び方について紹介していきたいと思います。

 生き方を大学選びに当てはめたらスッと理解できました。

 とまあ、いざ生き方を選ぶっていうと目に見えないですし、すごい抽象的じゃないですか!

 なので僕は目に見えるものに置き換えて考えてみました。それが大学選びです。大学選びも人生のターニングポイントですし、目に見えるので分かりやすいので置き換えました。

 例えば自分の目指す生き方を「大学」に置き換えると、他人の生き方や人生のアドバイスは「大学のパンフレット」にあたります。

 そして自分の気に入ったものがあったら、その生き方を実践してみるこれが「入試」に当てはまります。

 そしてその生き方を実践し、何らかの結果を出す。もしくは一定の満足感を得られた時それが「合格」と置き換えられます。

 こうして目に見えた分かりやすいものに置き換えたことで多くのことが分かりました。

1 人の話を鵜呑みにするのは、どう考えても破綻する

 ここで先ほどの具体例に置き換えると、この見出しの通りだと言うことが理解できます。

 人生へのアドバイスが大学のパンフレットだとしたら、それは人によって渡すものが違いますし、どう考えても体に合わないことがあります。

 勉強が全くできないのに「これがいいよ!!」って言われて東京大学のパンフレットを渡されて受験勉強に臨んで合格する人がいますでしょうか?

 また、自分が運動音痴なのに「ここは至高の大学だよ」と言われて日本体育大学のパンフレットを渡されたらどうでしょうか。

 そして何よりもこの二つのアドバイスを全て実現しようとして大学受験に臨んだらどうなるでしょうか。死ぬほど体育の実技を練習しながら死に物狂いで勉強し、模試で上位1%に食い込むスーパー超人になる必要があります。

 このように人の言うアドバイスを全て鵜呑みにして、全て実現しようと受験という名の「生き方の実践」に臨んだら必ずどこかで破綻することになりますし絶対に矛盾がでてきます。

なによりも多くの人にとって現実的ではありません。

 だからこそ、自分の欲しい「パンフレットという名の方向性」を持っておく必要があるのです。


 僕は、そういった方向性すら持たずに人のアドバイスを全て実現しようと試行錯誤していたから、自分に芯もないし中途半端な存在だったんだと感じています。

 

2 選び方は講義単位でも選べる

 そして、大体の方向性は生き方を選ぶことも重要なのですが、その生き方の細かい部分は多くの人からよりどりみどりで選んでいくことができるんじゃないかな〜と思います。

 大学という名の生き方を選んだ後、他の大学で「面白い」「いいな!」と思った講義も受講していくイメージですね。

 例えば、自分のしたい生き方とは真逆のことをしているような人でも、その人の仕事に対しての流儀や他人への考え方に憧れや共感を持つのであれば、それは自分の生き方の中のルールに取り込んでいくべきです。

 何が言いたいのかというと人の助言は全部聞かないで、必要だと思った部分を自分のために血肉にしていくべきということです。

 それを目の前の人に言うのは失礼極まりないですが、何でもかんでもその人が正しいと思うのではなく、そういった姿勢で助言を聞いて強くなろうと言うわけです。

 

 

他人への生き方は否定できない

 とまあ、自分で生き方が定まった人もいたら「他人からこんな生き方でいいの?」って言われると思い恐怖を持つ人もいるかと思います。

 しかし、最近僕が気づいたのは誰もその人の生き方を否定できないと言うことです。

 僕も今までそういうことに怯えていたのですが、職場での一件があって考えが変わりました。

 一言で言えば、僕が他人の処世術をそのまま使ったと言うことです。僕は結構仕事ができないので細かいことを言われるのが嫌なので他人の処世術を用いました。まあ、自分がやってしまったことなんですけど、他の人がやりましたよ〜って言う空気を出していました。

 結局バレたのですが、その時言われたのが「そんな人だと思わなかった」と言う言葉です。僕も何か言われるのが嫌で使ったのですが、自分の主義に合わないことを取ったことと、他人から自分を変にとられるのが辛かったです。

 その後、特になかったのですが職場の他の職員の仕事のやり方の批判が始まったのですが、その時に気づいたのです。

 「その仕事のやり方や処世術も、その人が快適かつ生き残るために自分のために
産み出したんだ」と

 

 僕に処世術を教えてくれた人も、長い年月の中で過ごしやすく仕事をするために編み出した自分のための方法スタイルなのです。それが僕を含めて他の人全てにしっくりくるはずがないのです。

 そして、その処世術や生き方がどんなものであれ、その働き方生き方に優劣はないと言うことに気づきました。

 みんな、自分で生き方を選んでその生き方に基づいて、生きていくための具体的方法論を生み出しているのです。

 なので、どんなにその人の生き方が人の道を外れていようが、批判の対象になろうがそれは否定することはできないのです。なぜならそれがその人たちの選んだことですし、生き物として生きるためにたどり着いた答えなのですから。


 あなたは人に生まれてきたからと行って、ミジンコやライオンの生き方を否定することができるでしょうか?そんなことはできないですし、そもそも批判するのが可笑しい話ですよね。


 だって、ミジンコの生き方もライオンの生き方もDNAに基づいて定まったその種が最も生き残れると判断した生き方なのですからそんなことはできないはずです。
 確かにミジンコの生き方なんてよく分からないですし、ましてやライオンなんて狩りをメスに任せるようなヒモ生活ですし、羨ましい気持ちもあるでしょう。

 それでもむしろ批判されるべきは、そんな自分の生き方を自分で選ぶこともできないような僕のような人なのではないのでしょうか。

 何よりも人間の素晴らしいところは、DNAに流されず自分にとって快適な生き方を選んでいけるだけでなく、限界を感じたりしたら服を着替えるように変えることができるところだと思うんですよね。
  
 まだ人生フラフラしている自分ですが、この生き方を選んで変えていけると言うことを感じていけたらなと思います。



意思を示して自分で選んでいく・・・らしいです

 とまあ、このように理屈がないと納得できない自分は、このように生き方について解釈しました。
 しかし、それでも最終的に人はどう生きたいのかを選んでいかなくてはならないとのことです。職場の上司が言っていたのですが、やはり人間の価値は生き様で決まってくるみたいなのでやはり自分が納得するものを選んでいく必要があります。

 それでも自分は何が「正しいのか」で考えているせいか何も決まっておりません。頭では正しいなんて見る人によって変わっていくのにも関わらずです。

 早く僕も、そう言った理屈ではなく自分が「いいな」とか「かっこいい」と思ったものに正直になって自分の生き方を選んでいきたいなと思います。

 今日はそんな感じでした!最近はほとんど更新ができていない自分が恥ずかしいですが、自分のためにもその他このブログを読んでいる本のわずかな方々のためにも書いていきたいと思います!!


 以上で〜す